島秀雄氏の数々の実績がスゴイ!深イイ名言や心に残る言葉も多数!

 

「新幹線をつくった男」として有名な鉄道技術者の島秀雄氏。

その島秀雄氏の数々の実績や名言などについて調べてみました。

まずは、簡単なプロフィールからご紹介します。

 

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プロフィール

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生年月日:1901年5月20日

出身:大阪府

 

1925年に東京帝国大学工学部を卒業し、鉄道省に入省しました。

そこの車両課で10年間、蒸気機関車の設計に携わり、「日本のSL(蒸気機関車)の黄金時代」を築きました。

設計主任として携わった、貨物用機関車「デコイチ」ことD51形が大量生産されるようになり、全国に普及しました。

また、戦争が終わると同時に軍の技術者を引き受けることになり、長距離用電車(国鉄80系電車)の計画を立案し、工作局長として湘南電車や、特急「こだま」などをプロデュースしました。

ここまでの経歴でも、ものスゴイ数のプロデュースをしてますよね…。

 

その後、1951年の桜木町事故をきっかけに設計主任を辞任し、国鉄を退職しました。

その桜木町駅事故により、技術の本質よりも責任のなすり合いの考え方に嫌気が差して、国鉄を辞めたみたいです。

その後、理事・技師長として再び国鉄に戻ることになり、十河信二氏と共に東海道新幹線の実現に務めたそうです。

そして、父の島安次郎の悲願でもあった広軌新線を実現させました。

1969年にはジェイムズ・ワット賞文化功労賞、1994年に文化勲章を受章しました。

そして、1998年に享年96のお歳でお亡くなりになられました。

 

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世界に与えた影響は?

 

また、島秀雄氏が他の方々に与えた影響がものすごくて、国鉄OBの人たちに「もし島秀雄が、国鉄にカムバックしなかったら、今日の日本の鉄道は、大きく様変わりしていたにちがいない。」と言わしめました。

当時、衰退していた鉄道業界に新幹線事業によって大きく息を吹き返した島秀雄氏の功績は実に大きいと伺えますね。

また、新幹線は当時の世界の鉄道業界に強い影響を与えました。

新幹線が登場した当時は、鉄道業界が衰退していて、米国では線路がどんどん取り外されていて、ハイウェイ中心の自動車輸送に置き換えられていました。

その業界の誰もが21世紀には世界中から長距離列車は消え去っているだろうと予想していましたが、一挙に覆したのが、新幹線の成功だったみたいです。

まさに「新幹線をつくった男」として、世界に名を轟かせたみたいですね。

 

島秀雄氏の名言まとめ

 

95点か。
なぜ5点が取れなかったか考えなさい。
ほめるのは、それからです。

 

新幹線は事故を起こしません。
そのように作りましたから。

 

電車は速ければいいというものではない。一番大事なのは安全であることだ

 

「出来ない」と言うより、
「出来る」と言う方がやさしい。

何故なら「出来ない」と言うためには、
何千何百とある方法論の全てを
「出来ない」と証明しなければならない。

しかし、「出来る」と言うためには、
数々ある方法の中からたった一つだけ
「出来る」と証明すればいいからである。

 

実に深いお言葉ですね。

「出来ない」という言葉の受け取り方も普通ではないですよね。

すごく心に響きますね。

 

まとめ

 

こういう偉人の名言ってプラスのエネルギーに変えてくれる何かがありますよね。

今日も頑張ろうって思えました。

別に病んでるわけじゃありませんが…(笑)

 

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